A6notes

雑記帳に書くように、気軽に書いています。

あとちょっとだ、がんばれ私

京都の家頭さんの話と、妖怪宿屋の話がもうちょっとで(多分)終わります、がんばった、がんばったよ、自分。

自分内、アスコーマーチばりにつっこみを入れずにはいられない感じでしたが、リアタイ視聴していなかったので(それでもアスコーマーチは録画をしてまで見る気にはなれなかったんだよなあ)。

京都の話は、京都の人たちが京都本として賞を送ったそうなので(Wikipediaによると)、情景描写の京都らしさというか、京都外の人の知らないトリビア的なものがあるかもしれない、と、期待してるんですが、今のところそういうのはないかなー、斎王代に選ばれるのが名誉な事、みたいな話くらいかなー。漫画の「玄椿」的なうんちくを期待してたんですけどね。

つか、骨董品店の体裁とはいえ、一応カフェでバイトしてる人間がコーヒーフレッシュ知らないのはどう考えてもおかしいでしょ。(原作はもうちょっとフォローがあったりするんかなー)

他にも登場人物が下衆すぎてほっこりもはんなりもしませんでした、残念ながら。上州人の限界なのか、私の育ちが悪いせいかもしれません。

妖怪宿屋もなー、いまいちハマれない。(京都の話よりは物語の必然性につっこみを入れてないんですけれども)

そんなモヤモヤをはらしてくれるのが『つくもがみ貸します』で、恋愛ネタもこれくらいの距離感だと見ていてシラケない気がしました。というか、若旦那と団子屋のおはなちゃんの話好きです。

京都の話で何がしらけるって、真贋ばっかりに気持ちがいきすぎている感じです。
○○作製、において真贋を見極めるのはありなんですが、誰の手によるものか以前に、それはモノとしてどうなのよ、というのがあって、意識的に似せようとしたコピー品ならともかく、作られた以上、その良し悪しは美術工芸品としての価値以外にも評価はあってしかるべきなのではないかなと。

恐らく元ネタとなっているテレビ東京の番組でも、○○の作製ではありませんが、とてもいいお品です、みたいな話があって、本人が気に入って手元に置いてるんだったらそれはそれでいいじゃねーかと思っておりまして。
○○作で、価値がありそう、で、入手した人の方が偽物率高い気がします、バイアスかかってるかもしれませんけど。

破れ鍋に綴蓋ではないですが、所有した人間が気に入っているのが第一で、価値があるかどうかというものを決めるのは野暮なんじゃないかと。

だから、ヒロインが、本物を見抜けなかった事がくやしい、というのは、骨董品と向き合う気持ちとしてどうなのよ、という。

品を見るのが楽しい、鑑賞したり、その背景にある逸話を知る事がおもしろい、という、知的欲求ではなくて、真贋判断のクイズ感覚は否定はしませんが、私の価値観とは違うなーというところで共感できないんですよ。

アニメ化だと、どうしても絵にならない要素は削ぎ落とされがちなので、原作は(読んでないので)わからないんですけど、キモの部分のミステリ要素についても、いまいち驚きやひらめきを感じないので、わざわざ読んで確認する気持ちにはなれないかな……。