A6notes

雑記帳に書くように、気軽に書いています。

龍の棲む日本

絵、図録から読み取る中世史の本です。 著者である黒田日出男先生は、群馬県立歴史博物館の館長でもあります。 何度か取り出して再読しておりますが、今回再読したのは第三章、5項にある、龍が起こす地震-「龍動」「龍王動」「龍神動」-です。 室町時代の辞書、『塵添あい(つちへんに蓋)嚢鈔(じんてんあいのうしょう)』の「地震動ノ事」によれば、地震の震動には、火神動、龍神動、金翅鳥動、帝釈動の四種があるとされており、その知識のもとになったのは、仏教の注釈書である「大智度論」だとされています。 星宿や色々関連づけられているようですが、ざっくりと発生時刻と相関して、下記のようになるのだそうです。 夜中から明け方にかけての地震が金翅鳥動 夜になってから真夜中にかけての地震が帝釈(天王)動 昼過ぎから晩までが龍神動 朝から昼までが火神動 過去の資料に基づき、地震回数を上記定義にあてはめると、最も多いのが帝釈動、次いで龍神動なのだそうです。 そして、第五章、大龍と地震と要石では、「大日本国地震之図」をもとに、日本と取り巻く龍体と、それをおさえている要石について書かれています。 こちらの図によると、3月の地震は帝釈動となり、前述のじんてんあいのうしょうの記述とは矛盾があります。(まあ成立年代も異なる資料なんで、このあたりは……) この図に記載されている(うーん、画像が無いとうまく説明できないな)呪歌、「ゆるぐともよもやぬけじと要石の 鹿島の神のあらん限りは」は、はっきりした成立年代は不明ですが、1596年京都で起こった大地震の際にはすでに記録があるのだそうです。(言経鄕記) 「棟は八つ門は九つ戸は一つ 身は伊邪那美の門にこそ住め」 「千早ぶる神の斎垣も三日月の 揺りや直さん我身成りけり」 「揺るぐともよもや抜けじと要石の 鹿島の神のあらん限りは」 地震後、門にこの三首の歌が貼られたのだそうで。 江戸時代には龍から鯰にイメージが変わってしまっておりますが、鹿島神宮の要石が押さえているのは中世においては龍であり、また、かつて地震の原因のひとつとして龍神の鳴動によるものという分類がなされていたというのが、非常に興味深いところなのであります。 ああ、なんか新書を断片的にまとめただけで、きちんとまとめまっておりませんが。 以上いったん終了させていただきます。