というと、なんとなくなんですが、常陸国風土記と出雲国風土記が思い浮かんでしまいます。
なぜだ。
完全に私の主観なんですが、いわゆる大和朝廷に与しなかった地域の風土記が多く残ってんじゃないかなという思い込みです。
Wikipedeiaによりますと、残っているのは
出雲国風土記がほぼ完本で残り、播磨国風土記、肥前国風土記、常陸国風土記、豊後国風土記が一部欠損して残る。
ってコトなんで、偶然っちゃ偶然かもですが、播磨、肥前、豊後についてはいまいち実感が……。
さて、筑波山へ行って参りました。
大変景色のよい場所でして、男体山、女体山から成る二つの峰をえっちらおっちら革靴で移動、なんて感じで、帰宅してから検索とかしてたら、ここ、古来より有名な歌垣の場であったのですね。
ははぁ、男体山、女体山、なるほど。
まったく関係ないですが、赤城山はある方向から見ると、寝そべる裸体の女性に見えるんだそうです。
そっちの方がよっぽど女体山だよなあ。
とか思ったりもしますが、まあ、そんな話はおいておいて。
まあ、あれだ。
古来に倣い、景色の美しい道の並びには出会い茶屋が沢山ありました。
うわあ、とりとめがない。
今度は来栖神社にも行ってみたいなあ。
茨城、あなどりがたし。