A6notes

雑記帳に書くように、気軽に書いています。

鹿島神宮と春日大社

都から遠く離れた筑波が歌枕であったりとか、藤原宇合国司であったりとか、何ゆえだ? と、検索しておりましたら、常陸の国について色々出てきました。

・対蝦夷の最前線基地であった

藤原氏の祖である中臣氏は鹿島神宮の神官であった

春日大社の鹿は元々鹿島神宮から連れてきたものであった

鹿島神宮にも神鹿がいて、現在においては春日大社から連れてきた

常陸の国って、単純に日立ちの国からきているのかと思っていたら、どうもそうではないみたいですね。

またしてもWikipedeiaの引用であれですが、

「然名づける所以は、往来の道路、江海の津湾を隔てず、郡郷の境界、山河の峰谷に相続ければ、直道(ひたみち)の義をとって、名称と為せり。」

「倭武(やまとたける)の天皇、東の夷(えみし)の国を巡狩はして、新治の県を幸過ししに国造 那良珠命(ひならすのみこと)を遣わして、新に井を掘らしむと、流泉清く澄み、いとめずらしき。時に、乗輿を留めて、水を愛で、み手に洗いたまいしに、御衣の袖、泉に垂れて沾じぬ。すなわち、袖を浸すこころによって、この国の名とせり。風俗の諺に、筑波岳に黒雲かかり、衣袖漬(ころもでひたち)の国というはこれなり。」

関東平野がだたっぴろくひたっすら平らで直道→ひたみち→で、常陸ってのと、ヤマトタケルが井戸で袖を水で浸したからって、こっちはどうなんだー。

ひたみちってのはなんとなくわかりました。

筑波山からの光景を見るとわかります。

話トンじゃいますが、茨城県平将門とも縁が深い場所であったり、また、水戸徳川家と、紀州徳川家の繋がりなど(まあひっていえば熊野との関わりになるわけですが)大変興味深い場所でありますよー。

つくばエクスプレスのおかげで、距離が近くなりましたので、是非また足を運びたいと思うのでしたー。