全然まとまってないんですが……。
元の名前は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、スサノオがヤマタノオロチを退治し、手に入れ、アマテラスへ献上。
アマテラスからニニギへ渡り、ヤタノカガミと共に祀られていたが、
崇神天皇の頃、皇女トヨスキイリヒメの手で外で祀られる事に。
(この時、形代の剣が残された)
垂仁天皇の時代にヤマトヒメに受け継がれ、伊勢神宮内宮へ。
ヤマトヒメからヤマトタケルへ。(このころクサナギのツルギという名に)
ヤマトタケルからミヤズヒメへ。
ヤマトタケルの死後、ミヤズヒメがクサナギノツルギを祀ったのが熱田神宮。
wikipediaの記述なんで、まるっと鵜呑みにするのはまずいかもしれませんが、
盗難事件があったり、天武天皇は神剣の祟にあったとか、なかなか妄想が膨らみます。
アマテラ→トヨスキイリヒメ→ヤマトヒメ→ミヤズヒメという系譜もなかなか興味深かったりして。
あと、頼朝のお母さんが熱田神宮の宮司の娘だったとかね。
壇ノ浦で沈んだのは形代の方とかね。
夢がひろがります。