A6notes

雑記帳に書くように、気軽に書いています。

批判について考える

サイトをやっていると、閲覧者が多いサイトさん、というのはけっこう批判なんかをもらったりするらしい。

残念ながら、私はいまだそうしたメールをいただいた事が無いので、大変だなあ、くらいにしか思っていなかったのですが、こんな文章を読みました。

優しさの芽生え

>批判メールは、不毛な、しかし、とても嫌な感情的抵抗を

>生み、アイデアを停滞させ、行動力を鈍らせただけだった。

>批判メールを送った人が悪いのでなく、

>それで成長をという甘い期待を抱いた自分が

>何か決定的に勘違いをしていたように思う。

>相手の成長のためと、きついことを言っていた自分は

>「なに様」だったんだとさえ思えてくる。

まったくもってその通りだと思う。

自身のきついもの言いで、相手の成長が促される、とは思い上がりも甚だしいなあ、と。

批判、という方法は、コミニケーションとして、さほど技術が必要では無い。

相手を思いやる必要が無いからだ。

付け加えるならば、相手を見下していないとできないような気がする。

それはちっとも客観的ではないと思う。

自戒としてね、相手のためにキツい言い方をするのは、実は自分がキモチイイだけなんではないか、と、思ったのでございます。

そしてもうイッコ。

読者という神からの自立

なんてのも。

まあ、好きにやるのが一番ですタイ。